2010.09
【著者:行 達也】
デフレ時代における音楽の価値について(1/2)
CDショップ大賞は現在、大義名分作りに悩んでいます。
なんのこっちゃ?って話ですが、この賞の目的の一つに“配信ではなくパッケージで買ってください!”っていうテーマがあります。店頭に足を運んでもらうためには当然のテーマですが、現在のエコブームに逆行するような行為を承知で、声高にそれを言うには、それなりの大義名分が必要だと思うワケです。ただ、がむしゃらに「パッケージで!」って吠えたところで消費者にとって「そりゃ、アンタらが生きのびるためにでしょ?」とまあ、事実なんだけどただ「助けてくれ!」と慈愛を乞うに過ぎない。ユーザーが前向きにパッケージの必然性を感じてくれない限り、状況は変わらないと思います。そういう必然性を感じてもらえる、もしくはダマシでもいいから納得させられるような大義名分を必死に考えています。
これまでにも“ジャケット込みで一つの作品である”とか“データだとパソコンが壊れたらおしまい”とかいろいろとパッケージを肯定するための理由付けは語られています。でも、いろんなことがオンデマンドで片付く時代にモノを所有するということは煩わしい、邪魔だ、という概念が横行して、それが音楽にもあてはまってしまった今日に、前述の説得は効果が薄いでしょう。
でも音楽は消耗品ではなくて、芸術品ですよね?他のアートに比べて、量産されることで食料品だとか電化製品だとかと同じ部類に錯覚されるけど、明らかに元が違っていて、作り手の芸術性から始まっているという点を見失ってはいけないと思うんです。だから価値を下げるような行為は決してしてはいけなかったのです。しかしながら企業はハード技術の進歩を巧みに取り込んで、利便性だけを追及してしまったがために、結果的に音楽は安いモノになってしまったのです。










