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おすぎのビデ・シネプレビュー

2009.11 No.308

Vol.131(1/4)

【著者:おすぎ】

「ヴィヨンの妻/桜桃とタンポポ」、「わたし出すわ」、「沈まぬ太陽」、「風が強く吹いている」

戦後すぐの時代を描ききれていない「ヴィヨンの妻/桜桃とタンポポ」

毎回のように日本映画の悪口を書いていて、自分でも〝なんてイヤな奴だろう〟と思っています。でも、本当に、これから日本映画はどうなってしまうのか、目の前が真っ暗になってしまいます。大袈裟でなく、テレビ局、広告代理店、新聞社、出版社などが制作にかかわっているからだ、と断言出来ます。勿論、映画会社自体が映画を作らなくなった、というのも大きいことですが、それ以上にテレビ局が主導権を持って制作していることの方が問題だと思うのです。例えば、モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を獲った「ヴィヨンの妻/桜桃とタンポポ」は、まず、もう昭和21年などという戦後すぐの時代なんて撮れないようになってしまった、エキストラの人間たちが時代に合っていない。私が知っている昭和26年でさえ、映画に出てくるような、血色はいいし、肥っているし、元気ルンルンな人間なんて、ほとんどいませんでした。もっと目はギラギラしていたし、何事にも〝飢え〟ていたし、それこそ喧騒の時代でした。それらが再現されていません。無理を言っているのは承知です。ですが、せめて、それに近くなるよう努力する、した、というのを見せてもらいたい。テレビ局が作ると、脇の役までスターを起用するってことが多いのです。飲み屋にくる工員の男を何故、妻夫木聡がんなければいけないのか、ほんの少し出演する弁護士役に堤真一を当てなければいけないのか、私には判らないのです。主演級の俳優を脇に使うことで作品の格があがるとでも思っているのでしょうか。昔、絶妙な脇役は沢山いました。脇で起用するから光るというような役者を育てようという作り手たちがいたからです。作家(浅野忠信)の心中相手となる女給に広末涼子を使う、それを、ある評論家が木暮実千代を見ているようだ、と書いていたけれど、それって木暮さんを誹謗しているのと同じぢゃない、と私は思うのです。根岸吉太郎監督は丁寧には撮っていると思うけれど、私は田中陽造さんの脚本を生かせてはいないだろうと感じました。海外の映画祭で何か賞を獲ると両手を挙げてホメちぎるマスコミも問題ですが…。

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