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TALKへ行きたい
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2009.11 No.308
第12回 全国名物店員訪問記(1/3)
【著者:行 達也】
ミュージックショップミヤコ
福嶋恵介さん
web:http://www.miyako-music.co.jp/
今回ご紹介するのは大阪の老舗のチェーン店、ミュージックショップミヤコの福嶋さん。 大阪では泣く子も黙る伝説のバイヤーとして名高い福嶋さんですが現在は商品本部に籍を置いており、店舗の統括的なポジションで勤務されています。 今回は福嶋さんにバイヤー時代の思い出を振り返ってもらいながら、今の時代を生き抜くヒントを得ようと思います。
-福嶋さんがミヤコで正社員として働きだしたのはビリー・ジョエルの『ストレンジャー』が発売された頃。 ミナミの繁華街、心斎橋筋に面した店舗だったのですが、最初はレコード担当(当時CDなんてありませんからね)ではなくオーディオ機器などのハード部門の販売を担当されていたそうです。
「レコード売りたくてレコード屋に就職したのになんでワシはこんなもん売ってるねん…って悲しい気持ちをストレンジャーのイントロの口笛が後押ししてくれてましたね(笑)。当時の大阪はアメリカ西海岸の文化が持てはやされてた時代なんです。いわゆる丘サーファーが大量に出現しだした頃。その象徴が石川セリの『ムーンライト・サーファー』。ものすごく売れましたね。その軽さが大阪らしい(笑)」
-ボクも大阪にいた頃に感じてたのが、ココは全国的なムーブメントとは関係なく、独自の流行っていうのが成立してる土地だ、ってことなんですね。 90年代だとFM802のヘビーローテーション。山崎まさよしも斉藤和義も最初はココから話題になりました。 福嶋さんが働きだした頃も上記の石川セリの他に桑名正博のアルバム中の1曲が売れたりだとか、地元のFMとか店から発信したモノに寄せる信頼が高かったようです。
「例えば、お店なんかだと、まだ試聴機なんてなかった時代ですからね。店のオススメで買った商品をお客さんが気に入ったら、その人はその店に毎回、買いに来るワケですよ。だから自分が気に入った作品が出たら、最低でも20枚ぐらいは仕入れてました。もう買う人たちがわかってましたから。主に周辺の美容院や服屋だったりするんですけどね。店のBGM用にね」










